1965(昭和40)年

「ほだび No.42より~1965(昭和40)年12月20日発行~」

背中の荷物について

 僕は別に修行のために荷物を背負っているのではない。サックの中には、石や砂が入っているわけではない。それはみんな僕の山での生活に必要なものばかりだ。お陰で少しくらい天候が悪くても、どこでも眠ることができる。僕の自由と安全のためには、このくらいの重さは仕方ない。もし、これを軽くしたいなら自分の身体を鍛えなければならないだろう。例えばシュラフがなくとも安眠できるように~出発の日に荷物があまりにも重いので~。

 「私は人生の背負いきれぬ想いを背負って旅に出たのであった」などとは、今の自分には書けないが、40キロぐらいの荷物を背負って針の木峠を越えた時の黒部谷の流れや、五色ヶ原の花や剱岳の雪渓の想い出なら書くことができる。そしてそれは楽しいことだ~ある紀行文を読んで~。

 少しの間、ザックを2個背負ったからといって、そんなに自信がつくものだろうか。本当の自信が?~みんなが自信がついたというので~

 「リーダーのザックに何を入れていくべきか」。「サツマイモさ。あとで焼いて食おうぜ、へへへへ…」~この間の秋合宿で~

 雨の降り出しそうな朝の出発に際しては、雨具はザックのタッシュに入れておくこと。そうでないと、降り出し時にひとりがザックをおろしてポンチョを出すのを、みんなが待たねばならない。メンバーシップの最初は、自分のことを他のパーティーメンバーに迷惑をかけぬように一人ひとりが心がけること。

 思いやりがあるとかないとか、苦しそうだからといって荷を軽くしてやることが必ずしも思いやりではないこともある。彼が自分の責任を果たそうとしているのであれば。

 真の仲間同士であるならば、本当に疲れた時に自分の荷を持ってもらうことには、それほど心の負担を感じないものだ。僕らは厳しいメンバーシップを要求することが、最後にめざす関係だ。彼は黙って僕のザックからテントをはずし、
自分のザックにつけた。それから、その日の目的地、そのテントを張るために僕たちは出発した~3年生時の北アルプスでの話~

 重荷を背負った僕が、重荷を背負った仲間を振り返る。無言の会話、ともに歩く悦び。《コーチ 西山》

雪がやってくるころ

通勤時の鮨づめ電車でぺしゃんこにされ、いつも上野駅を通過する。

これから、もっともっと雪が降るようになると、列車は頭に白い雪帽子を乗せて、ホームに滑り込む。会津の雪かな、朝日の雪かな、谷川かな、浅間かな、どこから乗せてきたのだろう。懐かしくもあり、嬉しくもある。また会えましたねと、ニコリと笑ってしまう。

今、あの山々はどんな姿で立っているのか。白く、紺碧の空に浮き出ているのだろうか。時折吹く風が雪を舞い上げ。

後は静か、静か。黙ってじっと、春になり、再び会えるまで。こんなこと、考えていると、ラッシュの電車も何でもない。《2年 綿谷》

白門祭公開ワンデルング

年々ワンダーフォーゲル運動が活発になってきている。その発展と同時に、特に学生の間ではワンダーフォーゲル部の事故の記事を目にする機会も多くなり、ワンダーフォーゲルとは危険なものだと思い込んでいる方も多いと思います。

真のワンダーフォーゲル活動をしている我々には、その誤解を解くあり、言葉で表すより一緒に自然の中に溶け込み生活することにより、ワンダーフォーゲルとは如何なるものか、また学生ワンダーフォーゲル活動を理解してもらう早道だと思います。

 それを機会に未知の自然界に興味を持ってもらう。我々の仲間が少しでも増えることは、我々ワンダラーにとっても喜ばしいことでもあります。そのワンダーフォーゲル啓蒙という目的で、今年も白門祭公開Wを11月1日から3日まで
参加者26名、部員9名によって、我々にとって第二の故郷である鹿沢の地においておこなってきました。

 その鹿沢において、最高のコースである車坂峠、籠ノ登山、兎平(七千尺コース)、湯の丸、烏帽子岳と、コバルト色の空に紅葉の峠を過ぎた晩秋の鹿沢は、
我々にも、また一般の方々にも深い感激を与えてくれました。自然界の厳しさ、山の中での生活はすべて自分たちでなくてはならない、その苦しみの中からにじみ出てくる楽しさや、その口から出た言葉は、こういう機会をかず多く与えてもらいたい湯良い要望であった。それだけでも本来の目的は少なからず達成したのではないかと思います。

 今年初めて2泊3日の日程を取ったことは、参加者の名前を覚える間もなく、
また自分の本来の姿で接することもなく終わってしまい、その上、我々の活動を十分理解できないのではないだろうか。

 鹿沢の我が部山荘を使用したことは、費用の面だけでなく、こんなに素晴らしいところがあり、我々はここで毎年合宿を行なっていることを知ってもらい、この山荘は我々の先輩が長年にわたって建てられた努力の結晶である立派なものであるということを知ることにより、一層愛着がわくのではないかということで、使用いたしました。この公開Wは、失敗も多くありましたが、よい結果があげられたことと思います。《CL 吉坂》

白門祭公開ワンデルングに参加して

  湯の丸のピークを長い列がゆっくり高度を稼いでいる。牛追いのような「ファイト、おりゃ~」という声も聞こえてきた。目を上げると山荘の中央が赤い。ストーブが燃えているのだ。誰だろう、起きているのはご苦労様、赤い炎が揺れて、カラマツの葉吹雪に歓迎され、たどり着いたこの鹿沢山荘。

そして入荘式。山荘の出入り部員たちから発せられる元気な挨拶。読図、読図でしごかれながらも嬉しそうな一年生。大きなキスリングを背負ってタフさぶりを見せる女子二年生。そして2、3年生の方も、皆とても良い人だった。

ふっくらとしていてとても美味しかったご飯と、燃えかすが隠し味、味が増した味噌汁の食器がある。この時は無芸”小”食の私も一変して大食となった。明日の朝で、この大きな食器ともお別れ。最後の夜とあって興奮しているのか、シュラフの中とても暖かい。何て楽しい日々だったんだろう。素晴らしい、最高という言葉を連発し続けた日々だった。この白門祭公開ワンデリングに参加は、私にとって大変勉強になった。自然の中にあって自分の飾り気のない姿をさらし、
互いに信頼し合い、励まし合い行動する部員の姿をこの目で見て、この身体で感じてきたことがまずは最初に挙げられる。そしていつも笑顔で一般の人接していた姿、たくさんの歌、たくさんの笑い、そしてその中で私の胸をキュッとさせたものは。

なぜこんなに楽しいのだろう。あれから十数日鹿沢での日々を思い出しては考える。私のこれからの「やまゆき」に少しではあるが、変わるところが出てくるように思う。地図を片手に持って、自分が今、どこにいるのか。それがわかったら本当に楽しい、そんなやまゆきをしている人もいるのだということを、知っただけでも大変勉強になった。実はこれまでワンダーフォーゲル活動など、所詮は学生の団体行動という気持ちがあったのですが、これは撤回。今後は私なりのやまゆきを作ってゆきたいと思うようになりました。

この鹿沢での3日間を決して無駄にすることなく。また機会があれば鹿沢の地を訪れ、緑の中へ入ってゆこうと思います。今回は、本当にこれまで経験のしたことがない、さまざまな面で楽しいやまゆきでした。《第一班 伊藤》

白門祭公開ワンデルング~生活記録より

 今日も天候に恵まれ一日に楽しく過ごせました。苦しい道のりを経て、頂上に辿り着いた気持ちは、何と表現するべきか。喜びとともに、ふっと寂しい気持ちに誘われます。烏帽子から見たあの素晴らしい景色、きっと忘れることはないでしょう。本当に素晴らしい眺めでした。ローソクの明かりともに過ごしたひと時、こんな楽しい集いは初めてでした。

 朝早く降った雨も上がって今日一日上天気で幸いであった。皆の心がけがよかったためであろうか? 今回の公開ワンデルングでよかったのは「スタンツ」。役者揃いで、面白おかしく過ごすことができた。

 明日は帰る。少しでも読図力を身につけたい。なるべく自分から聞きにゆくようにした。結果「どうやらあれは地図上のここいら」と、ぼんやりではあるがわかるようになってきた。とても嬉しい。これからも、ハイキングコースでもよいから地図を片手に歩くようにしたい。

 冬になったらもう一度、この小屋へ来たいと思う。皆がいなくて寂しいかもしれない。今日になって背を丸めていると背骨が痛む。

 荷物が重く、出発前に少し不安はあった。でも皆の顔を見ると、そんな不安も
吹き飛んで負けるものかとファイトが出て、足が軽やかになった。また読図の関しては、連日合宿よりも厳しい”ご指導”があり、まいった。

秋合宿の感想

 雪の山、私にとっては素晴らしい魅力だった。そして今、合宿が学年合宿であるということが、ある程度余裕のある行動ができるのではないかという密かな期待も大きかった。

 紅葉の名残りがまだあちこちに見られる山道を、バスはうねりをあげて進んでゆく。松戸ノ原から私たち二班は現地でチャーターした車へ。雨の降る道を荷台に乗った上級生、二年男子のポンチョ姿、まさしく我らはワンゲル族なりを証明する姿だった。

 運転をしているドライバーの方に会津のことを色々と伺ってみる。「うんそうだな、…な。…な。…」という会津訛り素朴さが、その方の会津に対する温かい気持ちが偲ばれ、黙って聞いていた。

 分校の裸電球のもとで、菊川助監督を囲みミーティング。山へゆくのはなぜかと、ミーティングは続く。明日の行動があるのが残念だった。このミーティングで、自分が山へゆく、合宿に参加するということに対して、あまりにも甘い考えであることがわかり、考え込んでしまった。山に対して、もっと厳しい態度で臨めば…。”独図”から「読図」にただ成長したに過ぎない。もっと発展することができることがわかった。

 待望の雪を私は今踏みしめている。目を転じると、広大な自然のなかに、飯豊連峰の山々が雲の上に美しい白銀の姿が、幻のように浮かんでいる。まだ誰も歩いていない雪を歩いてみたくて、時々トップを交代してもらう。雪の山は期待通り、言葉では表現できない無限の「何か」を含んでいた。

それにしても雪の山は倍のエネルギーを必要とした。田代山山頂、一面の水の原。ハイマツが群生している。夏は尾瀬のように、美しい花々がこの水の原を飾ることだろう。帝釈山頂までは、初めてワカンをつける。しかし、とても履きにくい。その頃は雪もだいぶあった。何度〇〇セードを繰り返したことだろう。それでも雪はよい。雪の冷たさが心地よかった。

その日は木賊でサイト。私たちに示してくれた村の方々の好意がとても嬉しかった。ワンダラーの真の喜びである最終日、ゼイゼイいいながら歩いた唐沢峠。石の地蔵様が見てなさる。村の人の、そしてワンダラーの無事を祈るかのように。これからさぞや寒かろうに。

この合宿、女子が男子のなかにひとり入るということは、体力的には厳し過ぎると思う。体力的なものから、さまざまなことに響いてくる。すべてに余裕がなくなることが、まず第一である。そのほか、自主的な合宿とめざすとうたわれたこの合宿リーダーの信頼のもとに行動するという段となると、いい加減な気持ちではいけないと思う。班員の信頼のもとでの合宿を無事に終えられたことは本当によかったと思う。

合宿を終えてみて、会津の山へ、木賊へ、川衣へ、またゆきたいと思う。ゆっくりとまたゆきたいと思う心に、ある意味で会津の人と山を知ることができたといえないだろうか。地域研究も上から与えられたものではなく、一人ひとりが
知りたい・知りたいという欲求の上に立ってすれば、素晴らしい結果が得られるのではないだろうか。私は今、知りたいと思う。会津の山と人を。
《第二班2年 小野》

 秋合宿が学年合宿であると聞かされた時、いつもガミガミいう2年生がいなくて嬉しいと感じたが、合宿中1年生間のチームワークがなかなかとれず、2年生の存在がいかに大切なものであるかつくづく知らされた。

僕たちの班は、山と名のつく高いところは登らず、ほとんどが平坦なところばかりでした。初めての冬山とか、藪漕ぎ、ラッセルを経験するので準備段階ではこれまでになくトレーニングを積んだ。いざ現地へ着いてみるとルートがはっきりしていなかった。予想以上の藪と雪で予定のコースを変更したりして単調な合宿になってしまった。こういうことは、最初から予想されていたのではないかと思う。そのために調査をするのだが、その調査がどういう風におこなわれていたのか疑問を感じた。

けれどそのなかにも、手が凍ってしまいそうな雪のなかでの飯炊き、テント張りなどは貴重な経験で、二日目からはその日サイトリーダーが、チーフとサブリーダーとなって読図から休憩まで、全て1年生の自主性に任せてくれたことは、すぐ2年生になれば教える立場となるのだから、リーダーシップという点からも大いに勉強になった。また反面、同じ学年の者を使うことが、いかに難しいものかを感じた。読図を、今までの合宿とは違って、10分おきくらいにやらされて読図の難しさをいやというほど味わった。この度の合宿はそれほど苦しくはなかったが、多分に色々なことを学びとることができた。
《第五班1年 橋本》

 いつもながら、合宿を終えて帰ってきた時は爽快なものである。ことに今合宿は今年度の地域研究の場所であったため、地域に関してはいつもの合宿以上に感心があったのは当然であろう。
 
 我がパーティーは、第一日目は悪天候のため予定の行動を大幅に割愛することを余儀なくされ、田代山登山口に一番近い集落である「川衣」にサイトしました。川衣は木賊から3キロばかり奥に入ったところで、サイトするに当たって地元の方に話を聞けたらと思ったが思いは届かず。残念ではありましたが、いたし方なしです。

 翌日は晴天で、田代帝釈を登ることができました。ワカン、ストックなどで雪に対処しましたが、今季2度目の雪とのことで積雪量が少なく、我が班で和漢を使用したのは、田代から帝釈の間だけでした。帝釈山頂は眺望豊かで南会津一帯の山々をはじめ、那須岳、焼岳、飯豊連峰などの白い頂が見ることができた。

 さて今合宿の目的である自主性および協調生については、私はそれぞれの日のリーダーを置くこととし、その日のリーダーは責任を持って行動を指導するというものであり、パーティー・チーフ・リーダーはほとんど口を出さず、かなり自分なりに行動ができ、それなりの成果をあげたものと思っている。また初冬の山に対する新たな知識、および経験を増大させて点では、合宿の目的たる養成の一端を果たしたものとみてよいと思う。

そして今回のような今までにない特色ある合宿、すなわち養成としての、地域研究としての合宿、加えて1、2年生にとって初めての学年合宿であること。そういったよい点、悪い点は反省会や報告会などで討議しているのでいうことはないが、いずれにしても、今合宿が新たな合宿形態を喚起し、今後1年間の活動の基盤となるであろうということを大いに感じ取ったのである。
《第二班2年 吉本》

 我が班のワンデリング場所は、最初の準備段階では木立岩からの藪漕ぎであった。しかし現地からの連絡によると、雪も予想され無理ではとのこと。それよりも三ッ岩岳・窓明コースをすすめるとのことであった。夏合宿なら楽しめるところだろう。

 第1日目はバスで檜枝岐村までゆき、丸屋で市川さん奢りの蕎麦を食べた。しかし蕎麦はできあがるまで時間がかり急ぐ時はやめた方がいい、念のため。
そうしているうちに外は雨からみぞれ、そして雪になっていた。腹ごしらえができたところで、全員ポンチョを着て一路小豆温泉小屋へ。

 約2時間程度で小屋に着いた。小屋のなかには村人が3人いて、小屋の修理を終えて帰るところだった。例によって我々をあたたかく迎えてくれた。その人たちが修理をしていなければ、その晩は寒くて眠れなかったかもしれない。感謝しています。ここで小屋の概要を記しておくと、8畳、囲炉裏つき6畳のふた部屋と水道つきの調理場、便所、さらに廊下を進み奥には風呂場がある。湯は常時42℃。冬場は少しぬるい感じがしたが風呂から上がると身体がポカポカして疲れがスーと抜ける。その上無料だ。夏合宿にもう一度行きたいところだ。

 2日目は、いよいよ三ッ岩へ。昨日から我々と行動をともにしている犬がいる。その名は「ジョン」。チーフが名づけ親です。登山口には、はっきりとした道標があるから間違えることはない。

まだあたりは薄暗く星が美しく出ていて、今日の上天気を告げていた。案の定、太陽が出るころになると、空には雲ひとつなかった。1300mから待望のワカンをつけて歩き出した。最初のうちはラッセルをするのが楽しくてしょうがなかった。が、3時間を過ぎるころともなると、ペースはガタ落ち。4時間目はラッセルの番がまわってくるのがいやになって、立ち止まることもしばしばあった。ジョンだけがどんどん駆け登って、適当な陽のよく当たるところで一本。そして俺たちを、いやな目で見下ろしていた。犬は四つ足だもん…。そしてついに1900でストップ…。

3日目は小屋から松戸原まで約20キロをやっと歩った感じ。街道歩きの本来の姿ではなかったよう。自分の不勉強もあるが、終結地のちょっと手前で、バスに乗った1年生の班に会う。夏合宿に続いて、また面白い経験をする。
《2年 鹿山》

秋合宿 生活記録用紙

「皆さん、揃いましたか」「番号!」。「よろしい10人全員揃いましたね」。とチーフリーダーの声。さらに続く「それでは今日のもぃーティングをおこないます」。特製の囲炉裏を囲み、火を存分に焚いてチーフリーダーを中心に、今日の行動の反省している。すでに外は、夜の帳が下り真っ暗である。夜空が実に素敵だ。総じてものが凍りつき、癪にさわるほど厳しかった。そうした朝のことから考え、夜のミーティングはよかったと思えるのだ。
 
 薪は乾燥していて非常に燃えがよい。靴を乾かし、靴下を乾かし、肌着すらも乾かすことができる。話が弾む。先輩の話、上級生の話、そして我々1年生の
新人養成の辛い話、夏合宿の楽しい話、尽きることなく続く。話が弾むにしたがい、夜のだいぶ深さを増す。

 「薪も終わりに近づきました。同時に制限時間でもありますので、一応今日はこれで終わりにしたいと思います」。再びチーフリーダーの声。一瞬ざわめいて、就寝の準備が整う。でも1年生、誰がすぐに寝ましょうぞ。皆、勝手なことを言って騒いでいる。やはり我々1年生はワンダラー精神年齢が若い。同時にファイトもある。もっとも何も知らぬからでもあるのか。心配事は上級生にまかせ、我々は上にしたがう。もしそうだとしたら、上級生から見た1年生は可愛いものであると思うのだ。シュラフにもぐっても寝つかれず、しばし考える。

 1年生のうちは、十二分に上級生に甘えてもよいものと、何があっても上級生くっついて離れない。そして甘えが許される間は十二分に甘え、同時に上級生の歩んできたワンダラーの知識を学ぶ。そしてまた我々も、同じようにして後輩たちへ教えてゆく。今度の秋合宿は、学年単位の新しい試みでの合宿。我が班は、チームワークの取れぬ結果が出たが、俺は失敗とは思わない。

 やってみたからこそ一層いたらぬ部分がわかったのではないか。何事も経験であり、反省してみてはじめてそこに進歩が生まれる。いずれ、我々1年生にも、個人ワンが許可されるだろう。それによってワンダラーとしては1年生の”餓鬼”から一人旅のできるようになり自信も生まれる。その前提として、意義のある合宿とも思える。

 岳人にはなりたくはないが、少しでもワンダラーとして山に登りたい。いつの世までも…。てなことを気取って考えていたら、いつの間にやら周囲はシーンと静かになっていた。囲炉裏の火も消えたように。おやっ、お隣さんはいびきをかいているね。あどけない横顔して。おふくろさんの夢でもみているのかねぇ。
「俺も眠ろう」。《1年 桜井》

部室に置かれたノートより

部室にはいろいろ、たくさんのノートがある。合宿の班別ノート、係別ノート、各学年のノート、エトセトラ。中身は、連絡事項、交換文章、意見にポエムにマンガあり。これもエトセトラ。そんな数あるノートのなかから、1年生のノートの中身を少し紹介してみたい。

僕が滑らかな新雪をいただいた丘に立っていると
たったひとつの星が、冷たい夕焼けの輝きから
じっと見つめていた。

私の見えるものは、それ以外何もなかった。
私は立ったまま、その宵の明星を見つめていた。
いつまでも、星が私を見つめている限り。

9月28日、部室には1年生が誰もいない。
多分そうだろうと思って来たものの寂しい。

最近思うこと。
東京の色は汚い。緑にしろ、真っ赤にしろ、
本当の色が出ていない。
ちょっとやりきれないという感じ。

自分のHOMEがないためか
ゆっくり憩うところがなさ過ぎる。
これも悲しいこと。
嗚呼、山に出かけたい。

10月4日、試験が始まる前から、毎日部室に来ている。
何か部室にある漠然としたものにすがりたい。
多分、そんな気持ちで毎日来ているのだろうと思う。

でも家に帰ると残るのは空しい気持ちのみ。
満ち足りた気持ちではないのだ。

誰かが大学のクラブ活動においては
「何ら代償をも求めてはならないのではないか」と
いったことがあったけれど、果たしてそうだろうか。

今の部室には部員7名、うち1年生ひとり。
静かなものである。
ふと同学年の人に懐かしさを感じる。
誰か来ないかな。